荘司さんという弁護士の方がNEWSPICKSの記事で、「ギブ」についてのかなり良い考え方を記載されていたので、自分のコメントを加筆修正してこのブログに記載したいと思います。
「ギブ・アンド・テイク」ではなく「ギブ・アンド・ギブ」を実践しよう!
現代心理学を元に書かれたビジネス書の嘘八百
ビジネス書は嘘だらけです。相手を操作しよう、という誤った思考の情報があふれています。
「好意の返報性」※好意を伝えると相手もこちらに伝えてくれる可能性が高まる。
「ミラーリング」※相手と同じ動作をすることで、心を同調させて好印象をいだかせる。
「バカ部下を使いこなす技術」
「惜しい部下を動かす方法」
「モテるテクニック」
そんな小手先の話ばかりです。
ただし基礎を勉強しておくことで、「人を操りたい人」の言動や行動から自分を守ることができる利点はあります。
荘司さんの記事に「お世話になった方々、一人ひとりの顔を思い浮かべると心が暖かくなります。」といった内容の一文があります。
これがとても大事な「思い」だと思います。
ギブがテクニックでは提供できない根本的な理由
「好意の返報性」、「ミラーリング」などの小手先のテクニックでは「本当のギブ」はできません。
「好意の返報性」は好意が返ってくることを目的にしているからです。
では「本当のギブ」とは?
それは「愛」です。親の子供に対する思いは、「愛」そのものであることが多くあります。ではこれを他人にもその「愛の範囲」を広げるにはどうしたらいいでしょうか?
「まず自分で自分を満たすこと」です。人は衣食住が満たされない生命の危機にある状況では、他のすべてより生命の維持を優先します。マズローの欲求段階の上位の欲求である自己実現に近い思想で生活できている人ほど、「愛の範囲」が広いのはそのためです。
店名は失念しましたが、「赤字だけどみんなが喜んでくれるから年金から費用を捻出してまで意地でも飲食自営をしているおばあさん」の話を聞く機会がありました。彼女はどのような心を持っているのでしょうか。
それは「圧倒的な感謝の心」だと思います。漫画HUNTER×HUNTER(ハンターハンター)でネテロ会長がたどりついた修練の先もやはり「感謝」でした。それを正拳突きという形で思想を行動として表現しました。高い次元で一つのことに集中することで、ネテロ会長の拳は音を置き去りにします。(音速を超える正拳突き)
常軌を逸した思想と執念が長い修練をもって、常識を超える成果を出した瞬間です。
ネテロ会長が次に何をしたか、「祈った」んです。ネテロ会長は何を祈ったのか。「感謝の先、ギブ、つまり愛です」。
ネテロ会長が見た世界
愛というものの本質を読み解くときは、どんな経営者の本を読むより、どんな一流の会社員の仕事術を読むより、ネテロ会長がたどり着いた「心の境地」を体感レベルで理解することが大事です。
1.ハンターハンターで「愛の本質」をついた名言。
漫画HUNTER×HUNTER(ハンターハンター)第28巻、25ページ。
蟻(アリ)の王、メルエムとの敗色濃厚な戦闘のさなか、ネテロ会長は心の内なる自分との会話でおっしゃいます。
「感謝するぜお前と出会えたこれまでの全てに!!!」
(手で「ハート型【愛の象徴】」を作っています)
では、なぜネテロ会長感謝したのでしょうか。
漫画HUNTER×HUNTER(ハンターハンター)第28巻、15~19ページ。
ネテロ会長はおっしゃいます。
「一体いつからだ、敗けた相手が頭を下げながら差し出してくる両の手に、間をおかず応えられる様になったのは?そんなんんじゃねェだろ、オレが求めていた武の極みは。敗色濃(はいしょくこ)い難敵にこそ全霊を以(もっ)て臨むこと」
つまり、ネテロ会長が求めていたのは「武の極み」。武とはなにか、「したたかさ・強さ」です。それも、自然や野生とのサバイバルで強さではなく、他の個人との比較しての個としての強さです。(後の巻での暗黒大陸上陸に「秘密裏に上陸した時の感想を」遺言で言うシーンでそのことに触れています。)
ネテロは個としての武の極みを求め、感謝の境地にたどり着きました。そして「一個が修練(しゅうれん)の末にたどりつきうる限界を卓越(たくえつ)した稀有(けう)な事例(じれい)」とメルエムに評(ひょう)されるほど、個としては卓越した力を手に入れます。そして祈りの力とたゆまぬ修練によって、ギブ・愛の力を手に入れます。祈りの力、念能力「百式観音」です。
では百式観音の攻撃は「愛」なのか?これは断言できます。「愛」です。
攻撃というのは、表面上だけ見ると「乱暴」「暴力的」に見えますが、ネテロ会長の百式観音の攻撃は、全人類のための平和を祈る「愛」が背景にあります。ネテロは攻撃中に「祈っていたこと」は何か。「メルエムを攻撃せよ」ではなく、「人類の平和に対する純粋な感謝からくる祈り(ギブ)です」。
戦争もそうですがとある人Aが、他の人や組織を攻撃するとき、ある人Aには一方で「守りたいなにか」が存在する可能性が大きくあります。攻撃には圧倒的なエネルギーが必要だからです。そのエネルギーは、本来人が持つ攻撃性ではなく「命をかけても守りたいなにか」です。
宗教、思想、信念、守るべき人、家族、愛する人、であったりします。人によっては、地位・名声・称賛など、本来価値の価値の薄いものに、「自分の命の価値を置く」人もいます。「自分の命の価値の置きどころ」は間違っては、いたずらに時間を消費してしまうので、是非悟りを開いて、人としての在り方を自分なりに持つことが大事です。
ネテロ会長の百式観音
なぜ、ネテロ会長が修練の結果に発現した能力が手が20本近くある観音様だったのか。日本で一般的に描かれる観音様の絵は腕は2本です、約20本だったのはなぜなのか冨樫義弘博先生に聞いてみたいものです。
私の解釈としては、観音様は「天」の象徴。キリスト教のキリスト・イスラム教におけるアッラーのように唯一神(ゆいいつしん)を表したいものではありません。さらに言うと、ここでいう天とは、神の類(たぐい)ではなく、天と地、つまり宇宙全体と一体になる自身の内面からから湧き上がる「心」です。(ネテロ会長の勝負服は【「心」】の文字がカギかっこつきで心臓のあたりのど真ん中に書(しょ)してあります。カギかっこが意味するものは、「強調」と「物の所在と特定」。「自身の心臓にある」ことを「強調」しています)
手が20本近くあるのは、「一個が修練の末にたどりつきうる限界を卓越した稀有な事例」のメルエムの言葉通り、ネテロ会長が悟りを開き能力が開眼したことを可視化(かしか)するための表現だ、というふうに解釈しています。
ふう、冨樫先生と対談させていただきたい。(集英社の他、漫画を取り扱う出版社の方、このブログに漫画の画像を添付したいので許可いただけないでしょうか?)
荘司雅彦弁護士が見る世界
「一人ひとりの顔を思い浮かべると心が暖かくなります。」という荘司さんのおっしゃる言葉の根には、圧倒的な感謝があります。大事なのは、その思いだと私は思っています。その心持ちでいるからこそ、「本当のギブ」は生まれます。
心理学と愛は全くの別物である
小手先のテクニックではありません。
西洋思想が日本の思想に跋扈(ばっこ)するようになって以降のマネジメントの本、教育の本、営業の本、経営の本にはこの小手先の心理学をベースに作られたものがほとんどです。部下を操作する、部下に動いてもらう、お客様を操作する、従業員に動いてもらう、そんな本がありふれていますので、読む本は厳選すべきだと考えています。
動くのも変化するのもいつも自分、だということは忘れてはいけません。
「愛」を忘れてはいけません。
わかりやすく言うと、「こうすればモテる」「ああすればモテる」というのは自分を満たしたいために、自分の小手先のテクニック、行動を変えることで相手を操作しようとする「操作主義的思想」です。ネテロ会長は、部下の12支ん(じゅうにしん)みんなに愛されました。
そのネテロ会長の特性を私はこう考えます。
「強さ」「優しさ」「率直さ(わかりやすさ)」「誠実さ」「無垢(むく)な遊び心(永遠の子供のような)」そして一番大きいのは「無償の愛」だと思います。彼ほど、「愛の範囲」が広い人物は、漫画世界でも現実世界でもなかなかいません。魅力的なキャラクターばかりのハンターハンター中でNO.1の「愛の範囲」の持ち主だと言えるのではないでしょうか。
小手先の心理学に、真理はありません。「感謝の心をもって祈り愛をもって行動することこそに、自分の人間力を高める唯一の方法である」、ハンターハンターを読み返すたびにそう思えてなりません。
西郷隆盛の「敬天愛人」と全く同じ思想と言えると、そう思っています。
ネテロ会長は「敬天愛人」を体現した、数少ない人の一人です。私もそうあり続けたいと思います。