弊社の名前はSEGODON株式会社(せごどん)です。
名前の由来は西郷隆盛(西郷吉之介)の愛称、せごどんから頂戴しました。
英語表記にしたのは世界にまで西郷隆盛の思想を広めようと思ったからです。事業内容についてはプロフィールを参照してください。
せごどんが大事にしていた考え方「敬天愛人」を私自身が体現しよりよい日本を創造します。
前株、後株で社名の後ろに株式会社を付ける「後株」を選んだのは、「敬天愛人」の思想が先にあり、組織体系としての企業が後に続く、という考え方に基づきます。
「敬天愛人」とはどのような思想か。
ではまず「敬天」とはなにか、ということから考えたいと思います。
正直、文字だけを見ると非常にわかりにくい。天ってなに?神じゃなくて?なんか宗教的?と感じる方も多いと思います。
敬天を逆に考えると非常に分かりやすくなります。
敬天(けいてん)の反対は、敬(けい)、つまり尊敬反対なので軽蔑から蔑天(べつてん)となります。
天を軽蔑する行為とは何か。分かりやすく例えるならこのような態度です。
「自分の境遇が悪いのは天のせいだ」「自分が満たされていないは天のせいだ」「天は私になにも提供してくれやしない」「なぜ天は私の命をさずけたのか」「天が悪い!」「天よ、おふざけ遊ばせ!」
ここまで書けばわかると思いますが、「蔑天(べつてん)」とは完全に「悪いことは人のせい思考」です。もしあなたが勤め企業・組織に蔑天(べつてん)の人が入社してきたならば、人事担当者の配置転換が必要だと思います。
「悪いことは人のせい思考」に対して
中国の思想家、孔子ならこういうと思います。
「それは天がどうこうではなく、あなたの過去の行動の結果が、現在目の前に横たわっているのです」
おそらく近しいことをおっしゃるはずです。きっと「子曰く(しいわく)」はずです。
では敬天とは?発するメッセージが反転します。
「自分のこの境遇に天に感謝し邁進します」「自分が物質的にも精神的にも満たされているのは天のおかげさまです」もしくは「物質的にはまだ満たされていないが、これは天による修業としての導きだ」「天は私にすべてを提供してくれた。あとは自分が行動していくのみ」「天が授けてくれたこの命に感謝します」「天は皆に平等である」「天よ、私と共に現世でお遊びください」。
となります。西郷隆盛がもし漫才師のノンスタイル石田さんならきっと「このハッピー野郎!」と小気味よい自分ツッコミをします。
実際、敬天愛人の境地は「感謝で自分が満たされているのでこれ以上ない幸福感に包まれます」。実際というのは、僭越ながら私が最近、常にその状態だからです。(父には頭がおかしくなった、と思われています)
蔑天(べつてん)とは「他人のせい思考」、敬天とは「天に対する感謝と祖先に対する敬意をもって邁進する思想」です。
ここで天とは?という疑問が生まれます。天とは何でしょうか?
西郷隆盛の「天」とはいったい何をさすのか?
これは、古代ギリシャの哲学者、ソクラテス・プラトン・アリストテレスの思想をひもといていくと、天の考え方の糸口がわかってくるのですがそこは割愛します。特にソクラテスの論理を発展させたプラトンの二元論、「天」の考え方が非常に西郷隆盛の思想と近いと思います。
西郷隆盛の天とは、「天とは自分と一体である」という考え方です。
それを根拠づけるのが、「愛」というものです。
西郷隆盛の「愛」とは何か。
愛とは何か、それは非常にシンプルです。
「愛するもののために心体が満ちるように祈り、そして心体を満たすために行動することです」
あえて「行動すること」と書きました。
2017/12/3、本日、ニュースアプリのNEWSPICKSに非常に学びのある記事が掲載されました。
予防医学研究者の石川善樹さんの【リーダーは「共感力」より「思いやり」を持て】という記事です。
URLは上記です。
分かりやすい例を記載しようと思います。
ある母親の5歳の子供が、高熱を出しました。おそらく最近の寒暖差が影響しているかもしれません。
母親は子供に寄り添って涙を流しました。高熱の苦しみを経験で知っていたからです。(ここまでが共感)
そして母親は、朝一番で病院に連れていき処方箋と薬をもらい、栄養価の高くかつ病気によい食事を調べて購入し、付き添って看病をしました。(これが思いやり)
思いやりとは「共感」と「改善の行動」がセットになっているものです。これが「愛」の本質です。これは自分も深く腹落ちしました。
愛とは、「愛するもののために心体が満ちるように祈り、そして心体を満たすために行動することです」。
では西郷隆盛が「日本人の理想像」として慕われるのは、なぜでしょうか。
西郷隆盛(せごどん)が国民から愛される理由
西郷隆盛の人気の秘密はどこにあるのか。
それは「敬天愛人」の思想を、行動として貫いたからだと考えています。
自分を愛する心をもって他人をも愛する。という言葉を発し、さらにそれを生涯実行したことに価値があると思います。
これは、個人としての・組織としてのあり方を示しているように思えてなりません。現代の日本には、綺麗に見える組織の「志」を理由に従業員をないがしろにする企業が多すぎます。
例えば、過労死。これは許せません。戦争もなく、これだけ豊かな日本でなぜ過労死があるのか。
「日本中の1000万人に企業として貢献できるならば1人、2人の犠牲はしょうがない」のでしょうか?
それは違うと思います。
自分・組織・企業を信じて共に歩む覚悟をしたパートナーに対して、さも美しく見える「志の旗でパートナーを突き刺して殺している」も同義です。なぜこんなにも残虐な行為が、私たちの日常になってしまったのでしょうか。
少なくとも、そこに愛はありません。
過労死で亡くなった方のご親族を思うと涙が溢れます。
もし西郷隆盛が現在の日本の状況を見たらこう言うはずです
「ないごてよ!?ないごてこげん豊かな日本でこげん悪辣な社会になっとっとよ」
(なんでだよ!なんでこんなに豊かな日本でこんなに悪辣な社会になっているのか?)
自分のことよりも、国民のためを思った西郷どんは、そう言いながら悔し涙を流すと思います。
私たちが今、できることは?取り組めることはなんでしょうか?
西郷どんはアンパンマンと本質的に同じ
アンパンマンの魔法、というものが存在するらしいです。
「赤ちゃんや子供がグズる時にはアンパンマンが効力を発揮する」とは数々の子持ち家庭の上司や同僚から報告を受けた研究結果です。
「正直、なんなんですかね、ジャムおじさんどう思います?」と思っていたのですが最近「敬天愛人」の境地に達し一つの答えを得ました。
アンパンマンの魔法。それは圧倒的な安心感です。
この安心感はアンパンマンの発するメッセージの一貫性と、その根本にある愛に起因します。
とあるアンパンマン1話30分の数話を改めて見たときに感じたのですが、圧倒的に愛の総量が多い。圧倒的に。
アンパンマンのセリフはこうです。
「パトロール行ってきます」
「今日も一日何事もなくてよかった」
「お腹がすいたんだね、はいお食べ(顔をちぎって渡しながら)」
「なにかあったらまた呼んでね(顔がちぎれている状態で飛び去りながら)」
圧倒的な慈愛に満ちた生き方。
聖人の領域にいらっしゃいます。
見てて涙が出てきます。涙があふれすぎるので見ることができません。
アンパンマンのオープニングソング、アンパンマンのマーチにある歌詞の一文がずっと意味が分かりませんでした。
「愛と勇気だけが友達さ」
この一文です。
愛と勇気だけが友達って、寂しくない?
と、結構ちまたで言われることで私も疑問でしたが、敬天愛人の境地に至ってはじめてわかりました。
愛とは「愛するもののために心体が満ちるように祈り、そして心体を満たすために行動することです」。
勇気とは何か。「愛を胸にどんな困難にも、立ち向かい行動する勇ましい心」です。その勇ましい心を、先進的な技術力で高性能機器を使いこなし悪事を働くバイキンマンと戦う(しかもとても強い!)ことで、示すのです。
愛と勇気だけが友達。この「友達」はいつも遊ぶ友達や飲み友達、地元の連れを指しているのではありませんでした。
共に人生を歩む志として、愛と勇気を胸に抱いている、という意味でした。
それは寂しいことでしょうか?
アンパンマンは満たされているに違いありません。
アンパンマンの中に天に感謝する描写はありません(たぶん)。
しかしその行為は、自分の宿命を受け入れ自分を愛すように他者をも愛し、そして行動し他者のために戦った。
西郷どん(せごどん)は、本質的なところで実写版のアンパンマンだと言うことができると思います。
[…] 西郷隆盛の敬天愛人の思想 ~西郷どん(せごどん)は薩摩の実写版アンパンマン~ […]